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| 報告 「清河八郎生誕180年記念シンポジウム―清河八郎・回天の門・藤沢周平を語る―」(2010/04/25) | ||||||||||
『清河八郎生誕180年記念シンポジウム/ー清河八郎・回天の門・藤沢修平を語るー』11日(日)無事終了することが出来た。 藤沢周平さんの「回天の門」を読み、郷土が生んだ明治維新の魁けといわれる清河八郎を知りたくて、彼が18歳のとき江戸へ向かうために歩いた出羽路を”回天の道”を辿ってみようと昨年9月、生家のあった清川から田麦俣までの約50kmを山形新聞社さんの同行取材を受け踏査・検証した。 その後、踏査・検証でお世話になった地元選出の議員さん、庄内町観光課長さん、立谷沢川協議会、清河八郎記念館などの関係者と議論を重ね、皆さんと知り合ってたった7ヶ月でこのような素晴らしいシンポジウムを開催出来た意義は大きい。これも一重に地元関係者の皆さんの協力無しには実現することは叶わなかった。この場をお借りして改めて感謝したい。 清河八郎に関しては、藤沢周平さんの「回天の門」始め、本人が母親を連れて旅行したときに書き留めた「西遊草」、伊藤仁さんの「幕末疾風録/清河八郎の生涯、上下巻」、司馬遼太郎さんの「龍馬が行く」、加来耕三さんの「坂本龍馬辞典」、半藤一利さんの「幕末史」、朝日ビジュアルシリーズの「藤沢周平の世界」などを読みふけった。ほかにもつながりの深かった大分県竹田市の私立図書館に問い合わせ、岡藩家老だった小河一敏とのつながりなどについても聞いてみた。こうして知れば知るほど「清河八郎」の考えや行動力には圧倒させられる。 隣村の戸沢村に生まれ育ちながらこれまで河八郎を何一つ知らなかったことを恥じ入るばかりだ。 シンポジウムには事務局の予想(100名)を遙かに超え150名近くの八郎ファンが集まってくれた。地元以外からの参加者がなんと100名もあったと関係者の方が喜んでくれた。 「東京での八郎の足跡を訪ね歩いてみたい」というアンケートも寄せられた。江戸で学問や剣術を学んだ玄武館、東条一堂塾(北辰一刀流道場、神田お玉ヶ池跡)、昌平校や清河塾跡(お茶の水、淡路坂)、暗殺された一の橋(麻布)、お墓(伝通院)、新徴組本部(飯田橋)などの案内はお手のもである。 懇親会のとき「東京でもう一度シンポジウムをやりましょう」と提案したところ、多くの賛同の声を頂いた。今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」、秋には八郎がもっとも心が動かされたと言われる「桜田門外の変」が映画化される。 清河八郎という人物をこの機会を通じて「正当な評価」をして貰えるなら(いやしなければならない)幸いである。 2012年の「没後150年祭」まで、やらなければならないことがまた増えた!! |
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| “イザベラ・バードの山形路を語る”シンポジウム開催のお知らせ(2010/04/19) | ||||||||||||||||||||||||
![]() ![]() 「元気・まちネット」はイザベラ・バードが“東洋のアルカディア(桃源郷)”と称賛した山形県内のルート(約200km)を、2007年6月と10月の2回に分けて徒歩とMTB(マウンテンバイク)で踏査・検証しました。 そして2008年、バードが来日してちょうど130年目を迎えたのを記念して、東京渋谷に於いて東北芸工大大学院教授:赤坂憲雄氏を迎え、シンポジウム『130年目の日本奥地紀行/イザベラ・バードを語る』を開催しました。 この度、地元山形に於いて、彼女が来日した理由やきっかけ、彼女の眼に映った当時の日本の姿など、皆さんと一緒に様々な視点から考察、ふる里を再発見して観光の基軸に据えられないか、市民の目線にたった新たなシンポジウムを開催することにしました。 |
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| 清河八郎生誕180年記念シンポジウム―清河八郎・回天の門・藤沢周平を語る― | |||||||||||||||||||||
| “明治維新の扉は清河八郎が開け、坂本竜馬が閉じた”と作家の司馬遼太郎氏は評しています。明治維新の魁となった清河八郎正明が誕生して今年180年を迎えます。 そして、国民的作家:藤沢周平氏は「回天の門」で清河八郎を著しました。氏の功績をたたえ、4月藤沢周平記念館が一般公開されます。さらには八朗と同時代を生きた坂本竜馬がNHK大河ドラマで取り上げられました。また今秋、八郎が大きな影響を受けた「桜田門外の変」が映画化される予定です。 「元気・まちネット」は、清河八郎が18歳のとき清川村を出奔し、清川から羽黒山麓を巻き六十里越街道から寒河江、山形を抜け上山まで至る街道を“回天の道”と位置付け、2009年9月清川から田麦俣までの約50kmを踏査・検証しました。後半部の六十里越街道から上山(約100km)までの踏査・検証はこの6月に実施予定です。 清河八郎が生まれた山形(庄内)は当時どんな姿だったのか、何故江戸に向かわなければならなかったのか… 生誕180年を迎えた今年、明治維新の魁となった風雲児 清河八郎を皆さんと共に様々な視点から考察し、ふる里の再発見につなげられないかと考え、シンポジウムを開催することにしました。 |
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| 武相荘(白洲次郎・正子旧邸宅)見学レポート(2009/12/06) | ||||
| 秋も深まった11月最後の土曜日、町田市鶴川の旧白洲邸「武相荘」をまちネットの会員3名と自由参加者3名、計6名で訪問した。 白洲次郎氏はご存じのように「兵庫県出身の実業家で、終戦直後の連合軍最高司令官総司令部(GHQ)支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商務省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。吉田政権崩壊後は、東北電力の会長を務めるなど、多くの企業の役員を歴任した。汚職根絶などに辣腕を振るい、商工省を改組し通商産業省(のち経済産業省)を設立した。その辣腕ぶりから「白洲三百人力」と言われる。―ウィキぺディアより― 元気・まちネットを主宰する矢口が最初に勤務した総合コンサルタント会社社長:永山時雄は、白洲氏が通産省を設立したとき「官僚にも優秀な者がいる」と任せたのが永山時雄だった。 |
![]() M森さん撮影の美しい写真レポート(PDF) (クリックすると別画面で開きます) |
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その当時会社では「誕生会」と言って社長から記念品を貰い一緒に昼食をとる習わしがあり、私も三度その栄誉に預かる機会があった。また、私はスキーを趣味としており蔵王はホームゲレンデでもあった。その蔵王スキー場に白洲氏が東北電力の会長をしていたときに建てた別荘:ヒュッテ・ヤレンが現存する。蔵王には「白洲次郎を語る会」という組織があり、その二代目となる会長をしていたO氏を訪問し知己を得ることが出来た。 蔵王や青木湖スキー場で一緒にスキーコーチの経験を持つまちネット理事:橋田氏の故郷:大分県竹田市には、白洲氏の父文平氏が晩年を過ごした邸宅跡が見つかったと新聞に掲載された。前置きが長くなってしまったが、「武相荘」を訪問する訳がこんなところに秘められている。 その「武相荘」だが、竹林と雑木林に囲まれた藁ぶき農家を改造し、 和洋が旨い具合に融合して何とも言えない味というか風情(景観)を醸し出している。我々が訪ねたときは長屋門をくぐったところに柿の大木があるのだが、鳥が啄ばんだのかあいにくと柿の実は一つも残っていなかった。しかし庭の白い椿(侘び)が我々を歓待してくれるかのように花開いていた。 蔵王(山形)も竹田市も白洲次郎氏を通じて「まちおこし」が出来ればと密かに望んでいることもあり、「元気・まちネット」がその活性化の一助になればこんなに嬉しいことはない。 |
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| 武相荘(白洲次郎・正子旧邸宅)見学(2009/11/21) →レポートはこちら | ||||
![]() 【武相荘の見学】白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅「武相荘」を見学します。興味のある方は一緒に行きましょう。 ![]() ★『武相荘―秋~次郎と正子の暮らし』展は、翌29日(日)までの公開となります。是非みんなで行きましょう。 ★早めに人数が判明したら、弁当(限定)¥3,150-を予約してみたいと思います。又は、駅の近くに安くておいしい焼き肉ランチなどがあります。 |
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| 武相荘~蔵王~樹氷の旅(2009.9.11) | ||
今、白洲次郎/正子ブームが大きなうねりとなって押し寄せている。白洲次郎1902年(明治35年)~1985年(昭和60年)は、兵庫県芦屋市出身の日本に実業家で終戦直後の連合軍司令官総司令部(GHQ)氏は以下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易長通産省)長官などを務める。独立復興後は東北電力会長などを歴任した。夫人は作家・随筆家の白洲」正子。--ウィキペディアより-- 昭和23年通産省を立ち上げたとき「官僚にも優秀な男がいる」とその任に据えた人物は私が勤務した会社の社長ということもあって白洲次郎氏のことは以前から知っていた。NHK「その時歴史は動いた」にも登場している。また青柳恵介著「風の男白洲次郎」を読みますますその魅力に引き込まれていく。そして2004年9月号の雑誌「サライ」でも特集で取り上げられた。 私の趣味というかライフワークは「スキー」であり、蔵王スキー場はホームゲレンデでもある。蔵王の雪が消えると月山(出羽三山の一つ)まで出かけて1年中スキーに明け暮れていた。 その蔵王に白洲次郎氏が50代のころ建てた山荘「ヒュッテ・ヤレン」があり、最近ブームになったことで蔵王観光協会では周辺を整備してサインやベンチを設置した。 この8月、仕事で山形を訪れた際、蔵王に立ち寄り山荘の写真を撮ってくることが出来た。 町田市にある武相荘も見学に行ったので白洲ファンの人が蔵王にも行ってみたいという方がいれば是非案内したい。ちなみに私はスキーインストラクターでもあり、蔵王スキー場は庭のようなスキー場でもある。 御息女の牧山桂子さんが書いた「次郎と正子」にも蔵王スキー場での思い出が書かれてあった。 |
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2009.9.16 クラブ・ウィルビーに紹介されました。 |
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| 「山形の旅コンテスト」応募企画 -奥の細道/松尾芭蕉文学散歩の旅-(2009/07/14) |
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今年2月、元気・まちネットが山形県観光課主催の「地元が企画する『山形の旅』コンテスト」に応募した旅企画が、山新観光株式会社により商品化された文学散歩の旅、第2弾は奥の細道「山形路」の前半部を、2泊3日のダイジェスト版で再現します!!『松尾芭蕉は元禄2年(1689年)46歳のとき、江戸深川から松島、岩手中尊寺に寄ったのち山形に入ります。山刀伐峠(なたぎり)~尾花沢~山寺~最上川~出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)を巡り終着地となる岐阜県大垣まで1900kmにも及ぶ旅をして俳諧文学の傑作と言われた「おくのほそ道」紡ぎました。142日間の約三分の一にあたる43日間は山形路だったのです。山刀伐峠では山賊への恐怖に怯え、尾花沢では紅花大尽と呼ばれた鈴木清風と歌仙を巻き、最上川では有名な「五月雨をあつめて早し最上川」を詠みました。出羽三山詣でのあと「不易流行」という言葉を残し、51歳でこの世を去りました。 前半・後半(奥の細道のハイライト・出羽三山)に分け、芭蕉の出羽路をくまなく巡ります。 「古人の跡を追うのではなく、古人の求めたるもを求めよ」と言い残していますが、芭蕉が何を求めて旅をしたのか、郷土史家や山寺の住職さんのお話を聞きながら文学散歩の旅を楽しみます。』 |
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| 「山形の旅コンテスト」応募企画 -はるかなる道/イザベラ・バード文学散歩の旅-(2009/05/14) |
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![]() 【クラブウィルビー】に掲載されました。 |
今年2月、元気・まちネットが山形県観光課主催の「地元が企画する『山形の旅』コンテスト」に応募した旅企画が、山新観光株式会社により商品化され、ツアーが実施されることになりました。第一弾は「はるかなる道 イザベラ・バード 文学散歩の旅」です。今から130年前、イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードが訪ねた日本の奥地(東北・北海道)。明治維新から11年、地方もやっとまちづくりに手をつけ始めた時期でした。青い目をしたイギリス人女性がどのような気持ちを抱いて、東北・北海道の旅をしたのでしょう・・・130年という年月を経た今、当時に思いを馳せながら一緒に歩いてみませんか・・・。 |
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| イザベラ・バードのたどった道を歩こう!出羽の国古代浪漫紀行『最上川・街道・三賢者』~女性旅行家イザベラバードの足跡をたどる~第2ステージ開催(2008/6/24) | |||
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出羽の国古代浪漫紀行「最上川・街道・三賢者」の「イザベラ・バードの足跡を辿る」旅の第2ステージ。今回は南陽から山形までをたどります。 |
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| 第二回『マウンテンリゾート活性化のための環境会議』無事終了しました。(2008/6/23) | ||
『第二回:マウンテンリゾート活性化のための環境会議』無事終了しました。 参加者は38名+関係者10名=48名。 初日の記事が土曜日の北海道新聞朝刊に掲載されたことを見て、民主党衆議院議員:鉢呂吉雄氏、同じく民主党北海道議員:市橋修治氏の両名が2日目の午前中の会議に出席してくれました。(関係者の誰も声は掛けていません) まちネットの神原理事(専修大学教授)と私で『自然、歴史・文化の再発見とコミニュティ・ビジネス展開』というテーマで発表しました。 新聞には「スキー場のあるまちづくり」の神原教授という素晴らしい名称まで頂きました。 分科会では「スキー場のあるまちづくり」と題して、地元で活躍するスキーのプロカメラマン、プロスキーヤー、元アルベールビルオリンピック選手、ニセコ町/倶知安町の職員など、大勢の方との真剣な議論をしました。 拓殖大学の服部准教授の報告によると10年後には北海道ニセコでしかスキーが出来ないかもしれないとの報告もありました。 スイスは国家としてスキー(冬)からグリーンシーズン(春・夏・秋)での観光に本気で力を入れるようにしているという話でした。 ![]() スキー場を抱えるまちは、今後どのような「スキー場のあるまちづくり」を展開していくのか興味があります。我々の取り組みは今後ますます必要になってくると実感した今回のシンポでした。(矢口) |
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| シンポジウム無事終了しました!(2008/03/03) | |||
山形を元気にするシンポジウム‐『最上川・街道・3賢者』を通じた観光活性化‐ |
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| 「山形を元気にするシンポジウム」を開催します。(2008/02/20) | ||||||||
NPO“元気・まちネット”は、山形の様々な“財産”を掘り起こし、自立・持続可能な観光事業をとおして山形の人たちをもっと元気にしたいと思っています。これまでに私たちが行ってきた山形での実地調査をふまえて、今回、山形県内の各地域が抱える活性化の現状と課題について情報交換を行うためのシンポジウムを設けました。“元気・まちネット”は、山形県内の各地域をつなぎ、山形の魅力を全国へ発信していく存在–地域の情報交換と連携活動を活性化するファシリテーター(促進役)–として、山形に貢献したいと考えています。我々の趣旨にご理解頂き、ぜひともシンポジウムにご参加頂きますようお願い申し上げます。 |
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| 山形新聞元日号に紹介されました。(2008/1/6) | |||
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| 『イザベラ・バードルート』踏査(前編)に行ってきました。(2006/6/5) | |||
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